〜変わるもの、変わらないもの〜
昭和――犬は外、ヒトは内
私が子どもの頃の犬との暮らしは、もっとざっくりしていたように思います。
昭和50年代(1975年~)ひとりっ子だった私に弟分ができました。
ボビーという雑種のオスで、 黒をベースに白や茶が混じった毛並みで、どこか柴犬っぽい顔つきをしていました。

雑種のボビーは、近所のおばちゃんが半ば押しつけのように連れてきたわんこでした。
でも、そんな出会い方がよくあったのも昭和という時代の特徴かもしれません。
首輪ひとつで庭に放し飼い、誰かが通ればワンワンと吠えて番犬の役割をこなします。
雨弥雪の日でも、台風が来ても、夏でも冬でも一年中「犬は外」にいるものでした。
それが当たり前だったんです。
学校から帰ると近所の子たちと一緒にボール遊びや、追いかけっこ、三輪車にリードをかけて犬ぞりのようにして遊んだのを今でも覚えています。
当時はたいていどこの家の犬も外飼いで、その日の通学路は「あ、今日はポチの家の前を通ろうかな」なんて、どこに何て名前の犬がいるのをわかっていて、犬目当てでルートを決めていたほどです。
ただ、そんな中で病気に対する知識や予防意識はほとんどなく、ボビーも最期はフィラリアで亡くなりました。
異変に気付いて、病院にかけこんだときにはもう手遅れだったと聞きます。
「犬は外で飼うもの」「番犬になるもの」という考え方が一般的だった昭和は、今とは違う距離感で、 それでも彼らは間違いなく、家族の一員でした。
平成――室内飼いと小型犬ブーム、「家の中のセレブ」
昭和の終わりから平成にかけて、犬との暮らしは大きく変わっていきました。
ある日家族と出かけた帰り、新宿のガード下近くのペットショップに白いぬいぐるみのような子がいました。
わがままを言ってお迎えしたその子はマルチーズの女の子でナナといいます。
赤いリボンをつけて、長くてサラサラの毛をなびかせる姿はまるでセレブ犬です。
“お座敷犬”なんて言葉がぴったりで、家族の中でもちょっと扱いが違った気がします。
けれど、実際にはその毛の手入れが大変すぎて、すぐにバッサリ短く母にカットされてしまいました。

当時はマルチーズ、シーズー、ポメラニアンなど小型犬がブームで、犬が完全に“家の中”で暮らすようになった時代です。
この頃、私は子どもとして残酷なほど興味が“外飼いのボビー”から“室内のナナちゃん”に移ってしまいました。
外にいるボビーはかまってもらえなくなり、ふと気がついた時には、ボビーとの記憶は「最後の日」しか残っていなかったのです。
当時は気づけなかったけれど、思い出すたびにちょっと胸が痛みます。
平成という時代は、犬たちの“暮らす場所”も“存在のあり方”も変わり始め、「外の番犬」から「家の中の家族」に変わった節目だったのかもしれません。
ペットショップも増え、小型犬ブームも巻き起こり、“犬=癒し”という考え方が広がっていきました。

令和――犬は、もはや「子ども以上孫未満?」健康としつけの進化
結婚し子どもが生まれて、しばらく犬のいない生活をしていた私ですが、「もう一度、犬と暮らしたい」と思う気持ちをおさえられずにいました。
子どもたちが成長し、少し手を離れたころです。
再び始まる愛犬との生活と辛いペットロス
念願のわんこは、柴犬の女の子ソラです。
ペットショップで半年ほどたち大きくなってしまったため、セール価格となっていました。
一緒に行った長男は映画の影響で、30万円と表示されたジャックラッセルテリアが気に入ってたのですが、私が柴犬に強引にきめてしまいました。
そのせいか三人いる子供たちの中で、長男とは犬猿の中でした。

柴犬のソラは、私たちが何か食べていると欲しがるので、ついつい人間と同じ食べ物を与えすぎてしまった結果、12キロ超えのムチムチコロコロのおデブちゃんに成長しました。
さすが柴犬です、頑固でいやなものはいや!かまってほしいときは寄ってくるが、気が向かないときは無視したり怒ったりするし、飼い主にも媚たりしません。
このツンデレな感じがたまらなくクセになりまして、柴犬一筋です。

高齢になってくると、それまでほぼ病気をしたことなかったソラが、ガンや、緑内障にかかったり、足腰が弱ってしまって、自分では立ってられず、特に排泄が大変でした。
いちど夜中には血を吐いたことがあって、緊急で夜間病院で診てもらったときは、検査や点滴など一晩で10万円の治療費がかかりました。
最後の半年間は介護を経験、それでも15歳半まで頑張ってくれました。

いつもいたお気に入りの壁際の場所、たべていると寄ってきていた足元の気配、ベランダに一緒にでてきては通りを見ていた姿、掃除してもしてもどこからかでてくるふわふわの毛たち・・・
家中にまだソラがいる(気配がする)のだけど、もういない(存在しない)のだと思い直してはボロボロと涙がでてくる繰り返しでした。
一緒に暮らす一番下の娘とは、お互いソラのことは、言葉にはしないのだけど、それぞれがひとりになると泣いていました。
実の父親が死んだ時よりもつらくかったペットロスの経験です。
新たな出会い
ひと月後柴犬の男の子テンが新しい家族になりました。
早すぎると思われるかもしれません、私もそう思い悩みました。
するとお世話になった動物病院の先生が言ってくれたのです。

「早いも遅いも無くてソラはあっちで楽しくくらしているよ。
ときどき、あちらとこちらを行ったり来たりもできるみたいだから、
そんな毎日泣いているお母さんを心配してるよ」
と。

ソラのことを忘れたことはありません。
ただつらかった毎日から、テンを迎えてからは、ソラのエピソードを娘と懐かしんでいます。
散歩でソラに似た子をみかけて、泣きながらテンと歩いた日もあります。
「毎日の散歩でわん友さんがたくさんできたこと、車で一緒にドライブ、ドッグラン、泊まりの旅行・・・」など、ソラとできなかったことを、たくさんたくさんして、テンとの生活を楽しんでいます。

愛犬との暮らしに大きな変化が起こっている
今の犬との暮らしがすごい勢いで変わっています。
愛犬の健康意識の高まり
毎年のワクチンやフィラリア、ノミマダニ予防に、健康診断と経済的負担が大変です。
動物病院の診察予約を取るにもアプリを使います。
開始数分前から携帯を持って待機して、枠を確保するための争奪戦が熱いです。
愛犬の食事に関して昭和は、使い古した両手鍋に味噌汁のぶっかけご飯でした。
それが今では安心安全の無添加ドッグフードに変わり、スーパーでもたくさんの種類が並んでいます。
おやつやご飯も、手作りこだわっている方も増えレシピ動画がSNSで見かけます。
一晩で10万の経験があるので、ペット保険はいりましたよ!!
基本春先しか病院にお世話になることがないので、いまのところ使いどころがありがたいことにありません。
マイクロチップの義務化やしつけ、ご褒美などにも変化が
マイクロチップが義務化されています。
ブリーダーやペットショップ等で購入した犬や猫には、令和4年(2022年)からマイクロチップが装着されていて、飼い主となったときには登録情報を更新します。
つい最近同僚が出勤途中で迷子のワンちゃんを保護したので、マイクロチップを思いだし、近くの動物病院で登録状況を確認してもらったことがありました。
その子はあいにく情報が更新されていなかったためすぐには見つからなかったのですが、「迷子情報がのっている」SNSの力を借りて飼い主さんにたどり着くことができました。
しつけだって、「ダメ!」と怒ったり、たたいたりして叱るのではなく、「できたね!」と褒めて伸ばすって飼い方情報は、その昔ママ一年目の時に読み漁った育児雑誌に同じようなことがかいてありました。
昔と比べたら、まるで人間の赤ちゃんを育てるような感覚です。
犬用バースデーケーキの写真、健康診断の記録、私の服よりも高くてお洒落なウエアや関連グッズの数々がSNSにあふれています。
昔にくらべたら、たしかに相当過保護かもしれないけど、それくらい大切にしたい存在になっているのも事実です。
令和の犬たちは、「飼われている」というより「一緒に生きてる」存在なんだと思います。

変わらないもの 〜犬は、かけがえのない家族〜
昭和・平成・令和と時代は移り変わっても、犬が“家族”であることには変わりありません。
外で自由に走っていた雑種犬も、赤いリボンをつけた小型犬も、健康管理バッチリな今どきの柴犬も、それぞれの時代で、私のそばに寄り添ってくれました。
犬は、ただのペットではなく、「人生の景色」に寄り添ってくれるかけがえのない存在です。
時に兄弟のように、時に子どものように、そしていつだって、無償の愛を注いでくれるかけがえのない家族です。

あなたにとっての“犬との暮らし”は、どんな時間ですか?
時代とともに、犬との暮らしは変わってきました。
それでも変わらずに大切にしていきたいのは、“一緒に暮らす時間をどう過ごすか”ということだと思います。
犬は飼い主を選べません。
私たちは犬を選んで家族にむかえることができます。
私たちに全力で愛をぶつけてきてくれる犬たちに、私たちは最後まで愛で返していかなければならないと思います。
犬との暮らしは、ちょっと面倒だけど、ものすごく豊かです。
犬がいることで、家族が笑い、生活にリズムが生まれ、ふとした瞬間に幸せを感じられる。
そんな関係を、これからも大切にしていきたいと思います。
最後に・・・
書き終えてふと横を見ると、気持ちよさそうにテンが寝ています。
いつも一緒にいてくれてありがとう、これからもよろしくね